人気ブログランキング | 話題のタグを見る


「人生はチェスに似ている。 自分の手中にあるものはチャンスではなく、駒の進め方だ」-テレンティウス
by angelblog
最新のトラックバック


疑わしきはマスコミなり
 ちょっと古いのですが、9月26日付の「『NHK報道』委員会の見解と各委員の意見」につき、思うところがあったので書きます。



 この「NHK報道」委員会とは、朝日新聞が1月にNHKの番組改変をめぐる問題を報じたことに端を発する一連の報道に関して審議するために、設けられた機関です。

 同委員会の見解にもとづき、朝日新聞は「記事の中に不確実な情報が含まれてしまったことを深く反省する」などと述べました。

 同委員会は、伊藤忠商事会長、元共同通信編集主幹、前日弁連会長、東大大学院教授の肩書きを持つ4名によって構成されていたようです。

 この文書には、まず委員会としての見解が書かれ、次に、各委員からの意見が述べられています。

 それらは個人的な意見であるし、皆さんそれぞれの意見を持っておられるのは当然でしょう。しかし、元共同通信編集主幹である原寿雄氏の言葉が、私にはどうしても引っかかりました。

 「法廷では『疑わしきは罰せず』だが、ジャーナリズムは『疑わしきは報道する』のが原則である。公人の言動に疑惑が見つかれば、追及して報道するのが当然の仕事である。100%の確証が取れなくても報道すべき場合は、しばしばある。(中略)もちろん報道は公正さが不可欠であり、人権への十分な配慮が求められる」

 確証がないまま報道しておきながら、「人権への十分な配慮」を払えるものなのでしょうか。いったん悪く報道されてしまえば、その時点で当人の人権は傷つけられ、名誉回復はかなり難しくなります。これは、今までに報道被害に遭われた皆さんが証言していることです。

 さらに、当初の報道内容が過ちであったことが明らかになっても、その過ちを潔く認め、それを明白に一般大衆に知らせ、かつ当初の報道と同等の質と量(紙面であれ、番組の時間であれ)をその人の名誉回復のために割くようなマスコミというのを、私は聞いたことがありません。そのような中にあって、はたして原氏の述べる「公正な報道」が成り立つのでしょうか。

 そもそも、確証がないまま報道するのがジャーナリズムの原則だと主張するのであれば、「疑わしきは報道する」というよりも、「疑わしきは報道なり」と言う方が正しいでしょう。このようにして、あるマスコミ関係者は、自分たちの言動によって、報道に対する一般大衆の信頼を損なっているように思われます。

 このままでは、「ロス疑惑報道の95%はウソだ!三浦和義氏(2)」に書かれたようなことが、いつまでも起こり続けることでしょう。
by angelblog | 2005-11-04 23:42 | マスコミ
<< 名言のプレゼント 11月5日 | TOPへ戻る | ジャンボクリスマスツリー in... >>